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あれから一年

TVのまえで正座して黙祷してた。
たくさんの映像を改めて見て、相変わらず涙が止まらない。もう今は無いたくさんの場所を、私の過ごした町を、モニタ越しに見る不思議さ。まだ復興じゃないとかなんとか言ってるけど、どんどん忘れてしまうのは悪いことじゃないと思う。人間は、忘れる生き物です。
なぜだかわたしは原発に対して強い反発を覚えない。それは原発の町に住んでいたからことがあるからとか、父親が東電関連の仕事だったからとか、東京で散々電力を貪る立場だったからとか、そういうわかりやすい理由ではなく。
わたしたちは安全だと信じ込まされていたわけだけど、疑わず、もしくは疑いながらも流されて、そこで生活をしていたことは真実です。知らなかったことは、紛れもない大罪だ。いまからでも遅くはない、自分なりに情報をあつめて、分析して、ちゃんと正しく怯えたい。わたしの両親は、多くの友人は、真実を知ろうとするよりも早く元凶を憎むことで自分の心を保とうとしている。そうせざるを得ない心情もわかるけれど、できれば真実を自分で探し出して、判断をして欲しいと思っている。まだ今は難しいだろうけど。

その上で。
わたしの語る震災は、どこか上滑りをしている。わたしは被災者じゃないけど福島の人間です。…身の置き場所が中途半端なまま一年が経ってしまった。たとえばわたしがこの先結婚をして子供を持っても、実家に帰ることは難しいだろう。わたしの育った町を見せることは確実に出来ないだろう。そういう覚悟が無いわけじゃないけど、自分の将来とまだ見ぬ子供の将来を軽く絶望する。地元の人はこれの何倍辛いのかなーと想像してみる。それでも、わたしは誰かを批判するだけの人間になりたくないので、いまある環境のなかで最善の方法をとるために、ひとり足掻き続けたいと思うのです。綺麗事でもいいのです。
震災に対しての考え方は人それぞれで皆一様に同じ方向を向くなんて到底無理だろう、だからそれぞれでいいと思う。とりあえず、TVは消して、自分のこれからについて冷静に考えて生きて行きたい。そして暇があれば福島に帰って楽しく美味しいお酒を飲みたい。好きな人たちを連れて行きたい。そういう日々。いままでと何一つ変わらないのです。